バイオマスコラム
2025.05.21

日本が「エネルギー自給率向上」よりも考えなければならない「1つの視点」とは?

日本が「エネルギー自給率向上」よりも考えなければならない「1つの視点」とは?

皆さん、こんにちは。
 YKパートナーズの草野です。

昨今、盛んに耳にするようになった言葉に「エネルギー自給率」があります。

エネルギー自給率とは、「国内で消費する一次エネルギーのうち、どれだけを国内資源で賄っているか」に関する比率のことです。

テレビやニュースなどのメディアでは、

「日本はエネルギー自給率が低い国だ。万が一の有事に備えるためにも、エネルギー自給率を高めるべきだ!」

という論調で展開されることが多いように思います。

一見、非の打ち所がない主張のように思えますが、私個人としては「言うは易く行うは難し、もっと具体策に踏み込もうよ」というのが正直な感想です。

今回のバイオマスコラムでは、「エネルギー自給率」をテーマに、現状の課題と今後の展望について、私なりの考えをお伝えできればと思っています。


世間で言われるほど単純な話ではない。

それが、今日のテーマのおもしろさでもあります。

1.「エネルギー自給率」という言葉の本当の意味とは?

皆さんは、日本のエネルギー自給率がどれくらいか、ご存じでしょうか?

資源エネルギー庁のデータによると、2021年における日本のエネルギー自給率は「13.3%」であると報告されています。

この数値は、非常に悪い順位で、「OECD38ヵ国中37位」という散々たる結果に甘んじています。

深刻さを増しているのが、2010年のエネルギー自給率は「20.2%」と、かなり低かったのですが、11年後の2021年では、エネルギー自給率がさらに7ポイントも下がり、「13.3%」に墜落しています。

出典:経済産業省 資源エネルギー庁「1.安定供給

ここで、皆さんに知っていただきたいのは「エネルギー自給率」という言葉の正確な定義です。

冒頭でお伝えした通り、エネルギー自給率とは、「国内で消費する一次エネルギーのうち、“どれだけを国内資源で賄っているか”」に関する比率のことです。

つまり「国内で発電していれば、エネルギー自給率が高くなる」というものではありません。

「電力(エネルギー)の源である燃料をどこから調達しているのか?」が問われるものなのです。

これは例えば話ですが、国内の電力が「オール火力発電」で、火力発電で用いられる化石燃料が、100%外国産であれば、エネルギー自給率は0%になってしまいます。

エネルギー自給率について語るときには、この論点について踏まえた議論をしなければなりません。

2.火力も原子力も「国産燃料」ではないという現実!

既にお伝えした通り、燃料の調達まで自国で完結させることが不可欠です。

しかし、現状を見る限り、これは非常に難しい課題と言わざるを得ません。

なぜならば、日本は発電のための燃料の大部分を「海外輸入」に頼っているからです。

まず、火力発電については、石炭、LNG(液化天然ガス)、石油といった燃料の90〜100%が海外からの調達です。

石炭はオーストラリア、インドネシア、ロシアといった国々から、LNGはオーストラリアやカタール、マレーシアなどから輸入しています。

石油についても、中東諸国への依存度が非常に高く、これらを国内で自給する手段はありません。

国内で火を起こして発電していても、それを支える燃料が輸入頼みである限り、国産エネルギーとは言いがたいです。

この構造は、原子力発電にも当てはまります。

政府は長らく「原子力は国産エネルギーだ」とアピールしてきましたが、実態は異なります。

確かに「国内の原子炉で発電している」という事実はありますが、燃料も処理も海外頼みです。

原子力発電の燃料であるウランは、カナダ、カザフスタン、オーストラリアといった海外から100%輸入しており、国内で産出されることはありません。

加えて、発電後に生じる使用済み核燃料の再処理も、フランスなど海外の施設に依存しているのが現状です。

これを“国産エネルギー”と位置づけるのは、ややご都合主義と言わざるを得ません。

このように、日本の火力も原子力も、その燃料調達を含めて見れば、真の意味での「国産エネルギー」にはなっていないのです。

3.エネルギー自給率向上が難しいのは「島国」だから

「ヨーロッパ諸国のように、エネルギーを融通しあう協力体制を敷けばいいのでは?」

このように考えた方もいるかもしれません。

というのも、ヨーロッパでは、国境を越えて、電力を融通しあう協力体制があり、自国で100%発電しなければならないといったプレッシャーとは無縁だからです。

例えば、ドイツは、原子力発電の電力をフランスから購入しています。

ですが、この画期的に思えるアイデアも、日本においては、実は全く現実的ではありません。

なぜならば、日本の場合には「島国」であり、電力コストがものすごく高くなってしまうからです。

仮に、隣国から電力を輸入しようとなれば、韓国などに海底ケーブルによる送電線をひく必要があります。

ですが、海底ケーブルには、莫大なコストがかかるため、割の合わない電力料金を設定せざるを得なくなります。

つまり、「お互いに自国で発電した方が安くていいよね」という判断になるというわけです。

日本は、自国で電気をつくるしかないという前提がある以上、「エネルギー自給率を高めろ!」という言葉だけが先走る議論には注意が必要なのです。

4.再エネへの過度な期待──自然エネルギーにも限界がある

「再生可能エネルギーで自給率を上げればいいのではないか?」

このように考える方も多いと思います。

とても耳障りのいいメッセージですし、脱炭素の観点からも否定するつもりはありません。

ですが、現実はそう甘くありません。

 たとえば太陽光発電は、広大な設置面積が必要です。


 山林伐採を伴うこともあり、2021年に発生した熱海の土石流災害では、開発による斜面の改変が一因とされました。

風力発電にしても、アクセスの良い平地は使い尽くされ、現在は山奥に設置せざるを得なくなっています。


 現在では、、風力発電の機材を運ぶための道路造成まで必要となり、森林破壊や環境負荷の問題が指摘されつつあります。

もっと言えば、太陽光や風力などの再生可能エネルギーは、気象条件に左右されるため、常に安定供給できるわけではありません。

太陽が出ない、風が吹かない──。

そのたびに、バックアップ電源となる火力発電に頼らなければなりません。

つまり、太陽光や風力などの再生可能エネルギーは、あくまで“有力な選択肢”のひとつであって、「再エネだけで自給率を上げる」には限界があるというのが現場の実感です。

5.エネルギー自給率向上の「唯一の切り札」となりうるのがバイオマス発電

そうしたなかで、エネルギー自給率向上の切り札になるとして、私が注目しているのが「バイオマス発電」です。

なぜならば、日本は国土の68%が森林に埋めつくされている、世界有数の「森林大国」だからです。

先進国の中では、フィンランドに次いで、森林率が高いことで知られています。

具体的には、間伐材や木質チップ、農業廃棄物といった“日本にある素材”を、バイオマス燃料として活用すれば、エネルギー自給率を向上できるはずです。

ですが、実は、バイオマス発電を持ってしても、エネルギー自給率の向上は難しいのが実情です。

なぜならば、バイオマス燃料にしても、7割は国産よりも安い「海外産燃料」に依存しているからです。

例えば、木質ペレットはカナダやアメリカ、PKS(パーム椰子殻)はマレーシアやインドネシアから輸入しています。

とはいえ、 政府・自治体・民間が連携して、国産バイオマス燃料のサプライチェーンを整えることで、部分的にでも「燃料の地産地消」が可能担っていくのではないでしょうか。

6.現実的な展望は「自給率」ではなく「安定調達」

ここまで見てきたように、日本は構造的にエネルギー自給率を高めることが非常に難しい国です。

そうしたなかで、僕たちは、有事に備えて、エネルギーとどう向き合っていくべきなのでしょうか?


一つの答えは 「信頼できる燃料供給国との良好な関係の構築」です。

なぜならば、日本はどう逆立ちしても、今後とも、エネルギー燃料を輸入せざるを得ない国だからです。

自国でエネルギーをまかなうことができない以上(=エネルギー自給率を高めることが現実的ではない以上)、燃料のサプライヤーとなる国々と良好な関係を築き、より一層の信頼関係を築いていくほか、道はありません。

とくに、今後のエネルギー輸入国は、従来の中東・オーストラリア・ロシアから、アジア諸国(ベトナム、インドネシアなど)、アメリカ西海岸、カナダ、南米、オセアニアといった地域にシフトしていくと見られています。

その際、日本に求められるのは、単にお金で解決するのではなく、共同事業・現地雇用・利益共有といった“共創型パートナーシップ”**を築くことです。


 エネルギー外交は、もはや一方向的な支援では成り立ちません。

「燃料を売ってくれる国を増やす」のではなく、「一緒に燃料ビジネスを創る」──その発想転換こそが、日本のエネルギー戦略を支えるカギになると考えています。

7.“自給率の呪縛”から脱却し、現実的な戦略へ

エネルギー自給率は、指標としては重要ですが、それに縛られている限り、本質は見えてきません。

日本に求められているのは、「どうすれば安定してエネルギーを確保できるか」です。

つまり、外交力も含めた「信頼関係の維持・構築」が問われる時代に入っているということです。

それでは、また次回のコラムでお会いしましょう。


 ありがとうございました。